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先日、行った新横浜の大塚遺跡。横浜・地下鉄ブール―ライン線のセンター北駅近くにあります。大塚遺跡は弥生時代中期の遺跡で、環濠や竪穴住居などが復元されています。
環濠集掠と言えば、まあ早い話が城の原形です。当時の環濠は土塁の内側に空堀を作っていて、戦国時代の城とは反対。土塁の外側に空堀を作った方が防御力が高まるはずですが、なんでこんな形にしたんですかねえ。ひょっとすると水堀にして灌漑用か非常用の水を確保したかもしれません。
戦国時代、京都の西岡にあった物集女城は水堀になっていますが、村の灌漑に使われていた例があります。大塚遺跡は茅ヶ崎城址公園から、ちょっと行ったところにあり、同じような丘ですが戦国時代の城跡にはなっていません。大塚遺跡がある丘の上はけっこう広いので、戦国時代の城には不向きだったのかもしれません。